あきらめない限り、未来は拓ける。

常に挑戦を続けてきた「進化する老舗企業」の
涙あり笑いありのノンフィクション。


物語

石橋青果は名古屋市中央卸売市場にある青果物の仲卸会社だ。
美味しい野菜や果物を目利きし、必要なときにタイムリーに、
価値ある価格で流通させている。
創業は1966年。50余年の歴史を誇る老舗だが、
常に経営が堅調だったわけではない。
何度も危機に見舞われ、そのたびに秘策を投じ壁を乗り越えてきた。
その結果、今でも順調に売上を伸ばし続け
100年企業を目指して突き進んでいる。
秘策とは何か。その根本にある考え方は何か。
今ある状態に満足するのではなく、常に挑戦を続けてきた
「進化する老舗企業」の涙あり笑いありの物語をノンフィクションでお届けする。

第一章
野菜がおもしろいように売れた
恐るべし、昭和の高度成長期。

青果仲卸業者とは、出荷者や商社から卸売市場に届けられた青果物を、卸売会社を通じて購入し小売業者や外食産業、食品加工会社などへの販売する仲介業者のこと。青果流通の要として重要な役割を担っている。石橋青果が創業した1966年は、日本の高度経済成長期の真っただ中。昭和期の人口の増加と生活の豊かさによる生鮮食料品への爆発的な需要増のおかげで、野菜や果物はおもしろいように売れた。仕入れ量も売値も、決めるのは販売人一人ひとりの裁量。相場の上がり下がりを読んで商売をする、駆け引きが命の世界だ。高度な「目利き」と「交渉力」をあわせもつ石橋青果の販売人たちは、その職人技を存分に発揮して大きな利益を叩き出していった。

第二章
多様化する顧客ニーズに
「共想競進」の精神で応える。

経済が豊かになるとともに、消費者ニーズが多様化。それに合わせるように、石橋青果の販売先である小売店や食品加工会社も特徴ある店づくり、会社づくりを行うようになった。「値段は高くてもいいので、こだわりの野菜がほしい」「B級品でもいいので安く大量に手に入れたい」など、販売先によって要望が異なる。しかし、天候や自然災害などの影響で仕入れ量が安定しない。だからといって青果は生鮮品なので長期保存もできない。必要な商品を必要なときに必要な量だけお届けするのは至難のワザだ。しかしそこは、「共想競進」の精神を発揮。どうすればお客さまの要望に応えられるか皆で納得するまで話し合い、チームワークで乗り切った。

第三章
中間業者はもういらない?
そんな逆風を好機ととらえ、新規事業で安定収入を実現。

長らく日本の「台所」を支えてきた仲卸業者にも時代の陰りが見えてきた。「道の駅」などの国産青果物直売所の発展、商社から量販店への直接販売、外食産業と生産者グループとの直接取引など、市場「外」流通の割合が増えてきたのだ。それはまさに仲卸業者の選別の時代。生き残りをかけて戦わなければならない。2004年、石橋青果では外食事業部を立ち上げ、外食産業や食品加工業のお客さまに青果を小分けしてお届けする事業を開始した。「飛騨高山産のブランド野菜を調達してほしい」「同じサイズ、同じ形のトマトを30個揃えてほしい」といった高度な要望にも対応。お客さまのブランドづくりを支える事業は、数社の大手企業との契約により、安定した収入源となっている。

第四章
石橋青果の挑戦は
まだまだ止まらない。

外食産業やホテルのレストラン、給食サービスなどのお客さまが、もう一つ困っていることが物流の問題だった。こだわりの野菜を仕入れるために市場や産地に足を運び、自分の目で選ばないと、思い通りの商品が手に入らない。しかしそれでは肝心の調理の時間が少なくなってしまう。そんな問題を解決したのが、物流部の存在。外食事業部でお客さまが必要とする商品を揃え、物流部がお客さまのところにお届けする。これで、思い通りの商品を必要なときに必要な量だけ手に入れることができるようになったのだ。外食事業部×物流部の仕事はお客さまから高く評価されて、2015年には静岡営業所を開設。西は三重県四日市から東は御殿場沼津まで東海道配送網を拡げている。

石橋青果の未来は?それは、鈴木社長からのメッセージを読んでほしい。
その前に、先輩社員の仕事物語をノンフィクションで紹介しよう。