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平成25年5月

昨年同様に今年も、春をすっ飛ばしていきなり初夏になった様に感じます。
ゴールデンウィークに北海道で雪が積もったと報道がありました。
また、我々は、早朝仕事をする時に10日前後まで
防寒着を羽織って、仕事をしていました。
しかし、突然その姿が半袖の制服に変身・・・。
そして、出荷が遅れていたキャベツ、レタスなどが一気に出荷され始め、
相場が急落しています。

新しい年度が、もう2カ月が過ぎようとしています。
今年入社の石川、仲、村井の3名は、仕事を徐々に覚え、
個々の個性が徐々に輝き始めました。

私自身はというと、最近、毎朝現場に出て
お手伝い(一般には邪魔)をしています。

今期の計画で大きな変更点は、外食事業部の組織を変更したことでしょう。

企画開発を中村さんにお願いした為、
今まで中村さんが担当していた販売先を小倉君、
そして平山君・松木君が引き継ぐように段取りをしています。

先日あった事なのですが、今まで阿吽の呼吸で
商いをしていたのが、細かなニュアンスを伝え直さなければならないと
担当者の変更を取引先の一部から不満が出ました。

これは、中村さんが一所懸命にやってきた賜物なのだと思いますし、
これにより小倉君にとってはよい勉強になったと思います。

今後は、新担当に丸投げするのではなくしっかりと
引き継ぎをしてゆくことが必要だと言う事を
肝に銘じて報告連絡相談を徹底してゆきます。

先輩の皆も愛情あるサポートと愛情ある叱咤激励をお願いします。

また、三輪君は、岡山君が亡くなってからいきなりの担当変更で
4月は大変に困惑しておりましたが、
ここへきて少しずつ仕事のペースを掴んできたようです。

売上の未計上がなくなりつつあり、
そして、帰社時間がだんだん早くなってきました。

一人前の販売者になり石橋青果を背負って立つ人物になってもらいたいと思います。

平成20年度より掲げた当社の未来像は、
「関わる人々の子供が入りたいと思うような会社にする」です。

もし、自分の子供が石橋青果に入社すると言った時に、
安心して働ける会社、人間関係で苦労をしない会社、
そして、成長してゆく会社であったとしたら迷うことなく
就職試験を受けに行く事を勧めると思います。

関わる人々の子供がもし入りたいと言った時に、
自信を持って「どうぞ」と言える会社に向かって
皆さんと作り上げていこうと言うのがこのビジョンです。

その為には、
・会社の永続的な発展
・社員がやりたい事ができる風土
・公平な評価と幸福になれる収入
・いきいきと働ける事のできる環境があると言う事です。

この4つの項目について、皆さんが自分の会社であると心底思えて、
社内を磨き続け、仕組みを作り、風土を育んでゆく事だと考えます。

今日より明日、明日より明後日を良くしようと
あらゆく事をかえることに事に挑戦する心持が必要です。

次の時代を盛りたててくれる若い世代がこれから
もっともっと活躍できる会社を作ってゆく。

そして、石橋青果の若い幹部社員の育成が今期の大きな仕事の一つです。

将来社長になりたいと思う社員はどうぞ、名乗りを上げて下さい。

平成25年4月

寒い冬に耐えた桜は一気に満開となり綺麗な花を咲かせました。
この時期の黄砂は本当に頭がいたものです。
洗車をしても黄砂が吹くと一日で真っ白になってしまいます。

 家庭をはじめ皆さんに会社内の事などを知ってもらおうと
このつぶやきをはじめましたが、今回ほど複雑な気持ちで
この文章を書いている事はありません。

知っての通り岡山君が交通事故で亡くなりました。
岡山君は、平成17年10月に加来君、鷲見君と共に入社してくれました。

当時は愛知万博が終わり落ち込んでいた景気が
丁度回復する傾向にある環境でした。
大変人不足に悩んでいたあの頃、
思い切って会社はじまって以来の大きな金額を投じて
リクルートの転職フェア―に出展した事を鮮明に覚えています。

背水の陣という気持ちでした。

そんな中、ちょっと生意気だけど可愛げのある奴が
当社に応募してくれたのです。それが岡山君でした。

当時30歳。

2,3年間中村さんの下販売の勉強をしてレタス、ほうれん草を
引き続き、販売を始めた上に胡瓜まで販売をし始めました。

周りはハラハラドキドキ、成績が上がらずに
本人が一番悩んでいたと思います。

それがこの一年上手く回るようになり在庫を
毎日残すことなく毎日販売をし続けていました。

多分岡山君自身も自分の成果に
手応えを感じていた事だと思います。

桜の花をみて、皆で語らい
未来への希望に胸を膨らませていた時に
交通事故に遭いとても残念です。

いろは研修にて
「俺は3年後社長になる」
といった言葉が今でも耳から離れません。

 命に限りがある事は皆わかっています。
しかし、今日居た仲間は明日も会い、
明後日も共に仕事をすると勝手に自分で想像をしてしまいます。

命がはかない、という事を嫌という程実感をしました。
それと共に一期一会の精神がいかに大切なのかを思い知らされました。
一期一会とはその一瞬を大切に生き切ることです。
我々は時間が無限にあると思っています。
その為に後からやれば言いと何事も後回しにしてしまいがちです。

実際、岡山君にああすれば良かった、
こんな話もしてみたかったと後悔してももう彼は居ないのです。

こんな風に岡山君に身を持って教えてもらいたくはなかったけど、
その一瞬の大切さを痛感しています。
メソメソしていると岡山君に怒られそうですが・・・。
どうか皆さん、何事も後回しにせず
「いつやるの?・・・今でしょ!」の精神で
仕事も家庭もそして自分の時間も大切にして欲しいです。

そして、もう2度とこんな体験はしたくありませんので
交通安全に気を付けて下さい。宜しくお願いします。

 4月なので本来なら新入社員の話をするべきでしたが
教訓が大きかったので・・・。

今年は石川俊介君、仲 大樹君、村井志穂さんの
3名の新人を迎え入れることができました。

学生から社会人へかわるこの一年、本当に重要な時を
石橋青果が預っているのだと感じています。

彼らはDMP新入社員研修に参加して
社会人としての大きな使命を掴んできました。

未来の石橋青果を創ってくれる大きな力となってくれる事は
間違いありません。
彼ら自身も不安と期待で一杯であると思います。

周りの我々が若い力大きく伸ばすために、
愛情ある叱咤激励をする事がとても大切であり、
この精神がこれからの良き日本を創ってゆくのだと思います。

どうぞ皆さん毎日を大切に生き、
若い彼らに自分たちの後ろ姿を見せてやって下さい。

お願いします。

平成25年3月

桜が突然に満開になった。

2月から3月上旬までとても寒い日が多く、
梅が咲いたのが3月の初めだったと記憶しております。
ここへきて帳尻を合せるが如く一斉に桜が咲き始めました。
寒さの緩みと共に葉物そしてレタス類がお値打ちになってきました。

  今月は目標と計画という事をつぶやいてみたいと思います。
目標がある人生はとても楽しいと思います。

私は、名古屋シティーマラソンの10kmに参加してきました。
23年9月より会社の近くのジムに通い、少しは走れるようになったのと、
何故か女房がマラソンに目覚めた為、一緒にエントリーする事にしました。

平成24年10月のモリコロパークで行われたスウィーツマラソンにも参加し、
自分自身が1時間程度で走る事ができる事を確認した為、
今回のシティーマラソンでは55分台を目標タイムと設定して
練習するようになりました。

科学性の欠けた練習ではありますが、
週に2~3回ジムで走り込んでおりました。

用意ドン!

河村市長のスターとの合図で一斉に走り始めました。

練習方法が違ったなと思ったのは走りだしてすぐです。
ランニングマシーンで走るのと
実際に地面を自分の足で蹴って走るのと全く違うのです。
どれくらいのペースで走ればよいのかが分からないのです。

また、周りにはたくさんの人がいて、とても走り辛く
前のランナーそして横のランナーに接触しながらの走りだしとなりました。

最初の1kmのタイムが6分を超えている・・・・。

こりゃまずいと思い、前の人を追い抜くために右へ左へと縫うように走っていました。

結構なランナーを抜かしたと思います。

しかし、吹上付近の4kmあたりに来たらゼイゼイと呼吸が苦しくなってしまったのです。
あれおかしい、と思ったのですがペースを落としても回復せず・・・。

そんな時に父が応援に来たのを見かけて、
ちょっと父に声を掛けて自らに気合いを入れ直して頑張る。

5kmのタイムが目標の27分から1分遅れの28分・・・。

しかし、6km付近からはもう完全に息苦しくて
走ると言うより歩く速度に毛がはえた程度。

追い抜かして来た人達に
今度は追い抜かされてしまうのですがどうにも足が進みません。
結果として、58分56秒でした。

本当に悔しい。

今回の10kmマラソンはとても学びの多いものとなりました。

まず、練習の方法が全く違っていた事。
実際に地面を蹴って走る事を全くしていなかったのです。

 自分のタイムを決め練習をする。
これは、経営と一緒だなと・・・。

目標に対する計画を立て実行してみる。
いけない、上手くいかない所を修正して又実行する。

そして、目標を達成してゆく。

これからは、練習方法を変えます。
ジムではインターバルトレーニングを中心として練習し
5k~10kは地面を蹴って走り、
次はかならず55分を切ります。

目標があるからこそ計画そして実行することが今がとても楽しいです。

平成25年2月

この冬は寒いです。
地球温暖化という説と氷河期に向かっているという説とありますが
後者に一票を入れたくなるようなこの冬です。

市場に目を向けますと高値で売れないと
葉茎菜は値段が下がり売値頃になると絶対量が足らないので
直ぐに値上げという状況になり、
このひと月は需要と供給のバランスが大変忙しく働いています。

野菜達にとって気温が低く、世間にとっては懐が寒いのでしょう。
暖かくなるまで多分この乱高下続くことでしょう。

話は変わりますが隕石がロシアに落ちました。
20Kmの上空で爆発してもビルの窓ガラスが割れると言う威力の持ち主、
もしあの隕石が地上に落下していたらと思うとぞっとします。

 平成24年度は、後ひと月余りとなりました。
一日という時間がとても早いと感じます。

今年度のはじめ新規顧客獲得等、色々課題を挙げましたが、
できたもの出来なかった物が色々あります。

計画を立て実行すると言う事は実は自分との約束であり、
会社で言えば各部門が各部門の約束を守ると言う事ですね。

その計画を立て一所懸命に実行する所にこそ、
人間的な成長があると考えています。

 「やりがい」がある仕事とか「やりがい」がある会社とか
「やりがい」という言葉を良く使います。

「やりがい」ってどんな事を言うのでしょうか?

 自らの意思で仕事をする事が「やりがい」につながると考えます。
上司に言われた通りに仕事をするだけ。
これには「やりがい」はないと思います。
確かにルールやマニュアルはあります。
それを逸脱して仕事をすると会社としてはまとまりが無く
とんでもない事になります。

しかし、我々を取り巻く環境は日々変化しているのも確かであり、
ルールやマニュアルもその時々で見直してゆく必要があります。
その為
にも毎日、創意工夫していくことが必要であり、
その方が仕事として楽しくないですか?

仕事を変化させてゆく為にも皆が考えカイゼンをしてゆく必要があり、
その為にひとり一人が意見を出し合い議論し合うことが必要だと考えます。

やらされるだけの仕事の中には「やりがい」はないと思います。
仕事に対して自分の能力を出し切ることだと言う事です。

 また、しっかりと仕事をやり遂げた時に周りからの
公平な評価がある時に「やりがい」を感じるのだと思います。

周りからの称賛と尊敬の目で見られる事は
その人を一段レベルアップさせることにつながります。

私自身が販売をはじめた時に成績が上がらず苦労をしていました。

ある月に目標金額を達成する事ができた時、
いつも叱咤激励をしてくれていた佐藤さんより大きな称賛をもらいました。

「よくやった」「これで一人前だ」・・・と。

嬉しかったです。

本当に。

これって「やりがい」ですよね。
周りが認めてあげると言う事は「やりがい」の源泉であります。
勿論、お金に対しても公平な評価は必要です。
 「やりがい」という事を私は、その人の成長であると考えています。
今日できなかった事が一年コツコツと努力をしていくうちに出来るようになる。

指導される立場から指導する立場になる。
自分自身の成長の為にもしっかりと計画を立てそれを実行して欲しいです。

会社は皆が働きやすい環境を整備すると共に皆が人間として成長できる場となります。
そして、公平な評価制度を磨き続けて行きます。

平成25年1月

今年の一月は大変寒いですね。
成人式の日には関東では大雪で大混乱でした。
高速道路が渋滞した為名古屋では茨城産の野菜など
物流にも影響が出ました。
新成人の門出には気の毒に感じでしたね。

中京の各産地においては12月初めの降雪により
葉物を中心に野菜が冬眠?状態となり
葉の厚みは益すけども玉伸びがしないという現象が起き、
入荷減に年末は大変苦労をしました。

一月に入ってもこの現象が続いており
荷物が薄い状況です。
売れて相場が上がるのは活気があってよいのですが、
荷物が集まらなくて高値相場を維持しなくてはならない時は、
商いをしていてもなんだか活気が無く、
どうしようもない状態です。

愚痴を言っても仕方がありませんね。

 日本には書き初めという風習があります。
私は毎年書き初めをしています。
皆さんにもお勧めしますので是非書き初めを行って下さい。

一年のはじまりにその年をどんな年にしたいかというテーマを
持って臨むのと、そうでないのでは一年に大きな違いが出てくると思います。

昨年私の具体的な行動のひとつとして144回ジムに通うと決めました。
実際151回ジムに通い10kmのマラソンを走る事ができました。
痛風の発作が出ることなく体調はとても良くなりました。
人生1回です、豊かな生き方をする為に書き初めを!

 私の今年のテーマは「構造改革」としました。
お陰様で会社は悪くない状態で今年度の計画を推移しています。

これで良いと思った瞬間から下降してゆくのだと思います。
だからこそ、今!改革をしなければなりません。

 構造改革=意識改革だと考えています。

明日も同じであると思ってはいけません。
現状として、明日は今日とほとんど変わりが無いのも事実です。

でも、変わらないと思って明日を迎えるのと、
変わるかもしれない若しくは変えなくてはならないと迎えるのでは
一年後の結果は全く変わってくると思います。

大変な競争の中で我々は商いをしているのです。
今のお客さんが一年後も当社のお客さんである事は奇跡なのかもしれません。
今あるお客さんに本当に感謝です。
また、会社の維持発展のため、既存顧客の他に新規顧客を獲得しなければ、
明日の会社は成り立たないのです。

営業の担当者を中心にそんなことは理解している事も十分に承知しています。

構造改革=意識改革は行動が伴ってこそ
初めて実現したと言えるのです。
計画したものが上手くいかないのは当たり前。

しかし、PDCAを繰り返し、行動し続けることが必要なのです。
構造改革は意識を変え行動を変えることができた時に
達成したと言うことになると考えています。

構造改革の骨子として、第1に若い力を存分に発揮する場を作る事。
第2に会社の新しい利益の源泉を創造する事。

平成25年度の計画を策定する時期になりました。
来期事業計画の中に三輪、小倉、古川がやることが
明確にならなければならないですね。

計画に合せた組織図を作成しましょう。
また、今扱っている商品をなんとか違うチャンネル・お客さんに
販売してゆく方法を具体的に考えてゆかなくてはなりません。

その計画を実践しきった時に構造改革が達成された事となります。
 
今年も力を合せやってゆきましょう。

平成24年12月 No.110

暖冬を予想していたのですが、11月は例年より
気温が低く今月の初旬には雪まで降りました。
葉茎菜・洋菜を中心に品薄状態であり
大変な高値になっています。
こんなに高くて年末年始の注文が出てくるかな?
と不安に思います。

 さて、12月16日は衆議院選挙がありました。
選挙自体は争点が沢山あり、また政党も12政党と
乱立状態で何かよく分からない選挙になりました。
選挙前に自民党優勢という情報が新聞紙面を
にぎわせた途端に株価が上昇、為替は円安に
振れていき選挙日の翌日は株価が
9900円の値を一時つけました。

公共投資を中心とした政治になるのでしょうか?
経済界は自民党がウエルカムなのでしょうね。

零細の建築土木にも仕事が回る様になるのかな?
結果としては自民党が圧勝!
これも我々有権者が選択した結果です。

 私は選挙権を頂いてからは、全ての選挙に投票に行っています。
別段、政治に大変興味がある訳ではありませんが、
やはり、国民の義務だと思うので必ず行きます。

今回の投票日翌日に当社の皆に「選挙に行った?」と
問うと皆が皆「行っていません」と・・・。

 本当にそれでいいのかな?

「私一人投票に行かなくても何も変わらない。」
「どの政党が政権を取ったとしても何も変わらない。」

それが行かなかった皆の言い訳です。

確かに現実はそんなものだとは思います。

しかし、自分の子供達に選挙に行かない姿を
見せていて本当にいいと思いますか?

ただでさえ自分の事しか考えない
子供が増えている様に思います。

先日も地下鉄に乗っていた時の事、
高校生が入口付近に6,7名立って居ます。
そこへ車いすの女性が乗り込んできました。
高校生は見て見ぬふり、車いすの女性は
電車の入口直ぐに車いすを止めるしかなくなりました。

想像通り次の駅から乗り込んでくる乗客には
車いすは大変邪魔なものであり、車いすの女性は大
変にすまなそうな顔をしていました。

高校生に声をかけようかと私自身も悩みましたが、
高校生は携帯電話を互いに見まわし大騒ぎをしております。

お互いが相手の事を見て少し譲るだけで
皆が気持よく地下鉄を使えるのに・・・。

自分の子供はそんなことしない・・・というのかもしれませんね。

でも、現実、親が今の社会の事を考えない・・・

いわゆる選挙にも行かないで本当に子供が
相手の事を考えられるのでしょうか?

親が政治に対する不安・不満を口にするけど
選挙に行くと言う行動は起こさない。

子は親を見て育ちます。
また、親は子を見て我振りを直さなくてはいけません。

地下鉄で居合わせた子供達・・・いわゆる高校生達を
見ていて私自身が子供達にしっかりと後ろ姿を
見せないといけないと感じております。

 10もらって9しか社会(会社)に返さないとすると
社会(会社)は貧困を招きます。
しかし、皆が10もらったものを11返すまたは返そうと努
力していたら社会(会社)は繁栄をします。

貧困になったら会社の存在が危なくなります。

選挙を行くと言う事は繁栄への第一歩であると思います。
国民が国民の義務を最低でも遂行する事が
国の繁栄の第一歩であると思います。

「つぶやき」が「小言に」なってしまいました。
ごめんなさい。

平成24年11月 NO.109

このつぶやきも10年目に突入です。
11月の半ばを過ぎても銀杏の葉っぱが緑のままで
木の上の方が赤く色づいている・・・。
銀杏って黄色く色付くはずなのだけどなと、
ここ数日行き交う街角の木々を観察しています。
やっと秋が深まってきました。

 私が社長に就任させて頂いたのが平成8年33歳でした。
自分では若くもないと思っていたのですが、
周りの皆から若いと言われました。
また、佐藤さん熊ちゃんは30代、
中村さんは20代だったのです。
現在私は50歳となり当社の市場のメンバーも
随分年を重ねて参りました。
そして、社会に対しての責任ある年齢になってきました。

私の父母は87歳、79歳となり、
いわゆる老人と呼ばれる年代になっています。
お陰様で元気に暮らしていて本当に有難いです。

年も年ですからどこかが故障しているのは
仕方がないと思っております。

先日、母が検査の為に3日間入院しました。
実は父は少し痴呆の化が出ているようで、
母が入院している間兄弟が交代で父と夜を過ごすこととなりました。

昔は、威厳があり怖かった父の背中が
本当に小さくなり丸まっているのは、
もうずいぶん前から気が付いていた事ですが、
父の痴呆症状と私自信が向き合うのは、
初めての事でした。

実際、ぼけているのかどうかも事実は
私には判りません。

でも、「今何時だ」と横で寝ている私を
何度も起こすのです。
眠気と反対に父がぼけている姿に少しショックを受け、
父をなだめて布団に入れてやりました。

前に女房から聞いたのですが、
父が「長く生き過ぎた」とポツリと言ったそうです。

また、母は糖尿病から食事制限をしなければならず、
食べるものも本当に限られています。
そんな母の姿を見ていると美味しいものを
食べてそのまま死ねるのならそれも幸福かな?
という事を私自身考えてしまいます。

生きると言う事は老いると言う事なのか?

 先日先輩経営者の方からこんな事を聞きました。
60歳になってから考え方が変わったと。
60歳までは今やっている事が未来ずっと続く事を前提に
・・・いわゆる死という事を全く考えずに・・・
物事を考え組み立てていた。
それが、60歳を過ぎたころから自分の人生の終点から
物ごとを見るようになったと・・・。

いわゆる後何年という尻尾から物事を考えるようになったのだと。

我師はいつも「私には時間がない」と言っているのは
この考え方の違いなのだと私は気が付きました。

そんなことを思い出しながら、
眠気と半分どこがスーッと起きている
そんな意識の中で思いを巡らしながら
老いると言う事は何だろうと考えておりました。

実際、私には老いると言うこと自体が判りません。
だから恐怖心もありません。

でも、事実として父が随分老いた姿を見ていて
潜在的に自分の明日の姿を見ているのにも気づいています。

「自分らしく生きる。」

そんな言葉が朦朧とした意識の中ふっと出てきました。
老いる事を恐れるより自分らしく生きればいい。

そんな結論を出した途端、眠りについたようです。

「自分らしく生きる」世の為人の為になる人生が
送れたら本当に最高です。

それは、石橋青果の発展であり、
社員皆の物心両面の幸福をより豊かに実現する事が第一歩です。
その為にはお客さんが喜んでくれる商いをし続けないといけません。

つまらん、つぶやきにお付き合いありがとうございます。 

平成24年10月 NO.108

10月ってこんなに暑かったかな?と感じています。
15日を過ぎても日中はTシャツ一枚でも全く問題ない日が続きました。
しかし、ここ数日は朝夕の気温が15度近くなったので
コンビニのおでんが美味しそうに見え始めました。

今年は台風の影響が無いのとこの暖かさの為に
11月から12月初旬のキャベツや大根等の露地野菜は
暴落するのかなと想像をします。

安値ばかりだと日本の生産者がいなくなってしまう・・・・・・?

第2四半期が終了しました。
お陰様で何とか利益を出すことができました。
支えて頂いているご家族に本当に感謝します。
利益を還元できるようにしてゆきます。

10月は、車の保険料の支払いがある為、
その年の交通事故を振ります。

若い社員が増えたと言うこともありますが、
この3年は事故がとても多くどの様に対策してよいのか、
思案に明け暮れています。

保険料を見ると一目瞭然で、
21年がメリット11%
(これでも昔より相当悪くなっている)であったのが
22年デメリット19%、
23年デメリット27%、
そして、24年はデメリット77%となりました。
相当な額の保険料を払うことになりました。

お金で済んでいるうちは、まだ良いのかもしれません。
相手と自分の身体そして命に影響が出てからでは手遅れです。

事故を起こしたらいけないという自覚を強く持って頂きたい。
命を守るために『スピードの出し過ぎ』『車間距離の確保』
出会いがしらを防止する為『出てくるだろう運転』の徹底をして下さい。

 今月、平針の安全運転協会より所長に来て頂き、
事故防止の為の教室を開催してもらいました。

その話の中で家庭円満が交通事故防止につながるとの話を聞きました。
けんかをして、いらいらした状態で運転をすると事故の原因になると・・。

心と体を常に健康な状態にしておくことが交通安全につながるとのことですので、
どうぞご家庭では笑顔で送り出してください。

また、集まることのできた社員にはクレペリン検査をしました。
検査の結果をよく読んで、過信することなく、
自分の運転の癖を知ってどうぞ、安全運転に心掛けて下さい。

平成24年9月 NO.107

暑さ寒さも彼岸までと言いますが、
今年の9月は暑いですね。
でもやっとこの頃は、朝晩が涼しくなってきました。

6月から順調に入荷していた野菜が
この9月中旬にショートしました。

昨年の野菜が高すぎましたが、
今年のお盆は安すぎました。
出荷者の生産意欲が下がってしまったのもあるのでしょうね。

日本の皆さんに沢山の野菜を食べて欲しい。
また、我々が野菜の消費を促す活動をすることが
必要だと痛感しています。

7月に定年退職をした融子さんに続き、
10月で松本さんが定年退職となります。

融子さんは30年と言う時を石橋青果で
一所懸命に働いてくれました。
松本さんは、ほぼ44年間在職してくれました。
石橋青果が創業46年ですから石橋青果の礎を
担っていただいた事は間違いの無い事です。

そういう私も松本さんには叱られ、
激励され、販売者として育てていただいた事を
昨日の様に思いだします。

改めて融子さんそして、松本さん石橋青果を支えて頂き
心より感謝致します。

ありがとうございます。
 

感性論の芳村思風先生は、人間は歴史を
作るために生きていると言われます。

はじめこの事を聞いた時、
言っている意味が良く判りませんでした。

歴史を作るというだいそれたことを
一般の人々が作っている訳が無いと。

聞いた当時、私自身が歴史を作っている
と言う感覚が全くないのです。

歴史と言う言葉の認識は、信長秀吉家康の様な
傑出した大人物が作っている物だと思っていましたから・・・・。

しかし、今、人間は生まれてきて
各々の歴史を作っていく事がはっきりとわかります。

生まれてから育った各々個人の歴史を作っている。
そして、各々が関わった人々と共に新たな歴史を作り続けている。

これは、融子さんと松本さんが石橋青果の礎となる
“働く風土”や“お客さんへの接し方”を、
前石橋社長の思いを受けて作り続け、
我々後輩に指導してくれました。

これが歴史を作っていくと言うことなのだと。

石橋青果には、今、働く仲間が段々大所帯になってきました。
その中には新卒として当社で初めて社会人になった仲間もいます。

一人一人が自分の歴史をつくってゆくと言う認識を
持って頂けたらいいなと思います。

自分の歴史を自分が作っているという自覚があれば、
その歴史を自分が納得した物にしたいと考えるのが
常だと思います。

確かに自らの過去を振り返ると
不出来な出来事に苦笑してしまうことが多々あります。
しかし、それは自分が成長した証なのでしょう。

自分の歴史を自分が作っていると自覚をすれば
未来に向かっていく自分の姿勢はプラス思考になっていくと思います。

人間誰しも今より良くなりたいとか豊かになりたいとかと考えた方が
わくわくします。

是非、石橋青果で働く皆さんが自らの歴史を
作っているのだと言う自覚を持って頂きたい。
個人が良き歴史を作っていくことは石橋青果
そして社会、日本が良くなっていくことに必ず繋がってゆくからです。

今いる皆さんが働き続けられる会社を作り続け、
新しい仲間がどんどん増えてゆく
その様な未来が膨らむ石橋青果にしてゆきたいと考えています。

100年企業を目指して!

平成24年7月

九州をはじめ各地でゲリラ豪雨が発生しました。
各地で被災された方には心よりお見舞いを申し上げます。

梅雨明けした後、各地で35度を超す酷暑かと思えは
25度を下回る気温の日が続いたり、
不安定な気象がこれからも続く様子です。

北海道等夏の産地は今現在順調な作柄で
推移していますのでこの調子ですくすくと
農作物が育ってくれる事を祈るばかりです。

連休に富士山に登ってきました。
下界は35度を超える暑さだったので
頂上の気温が10度以下と言う感覚がどうもわかりません。

富士山に登った事のある女房のアドバイスをもらいながら
雨具、厚手のシャツ、ヤッケ等をタンスから引っ張り出すものの、
ザックが一杯になるのをみて、何を置いていこうかと
自分自身で思案をしておりました。
(結果として全て持っていったのですが)

8合目の山小屋までは雨もほとんど降らず
御在所、伊吹山と違い涼しく快適に到達する事が出来ました。

山小屋でカレーライスを頂き、1本600円の缶ビールを呑み
(気圧が低いせいかとても泡がクリーミー)
明日の晴天を期待しながら仮眠。

しかし、翌日1時に目を覚ますと土砂降りと言うか
下界でいう台風並みの気象。

でも、ここまで来たからには頂上へ登りたい。
登っているうちに晴れるかもしれないと言う
淡い期待で一緒に行った仲間と共に頂上を目指すことにしました。

歩き始めて女房が厚手のシャツとヤッケを持っていけとういう
アドバイスに感謝!

歩いている時は何とか体温が保たれているので体は暖かでしたが、
軍手しか用意していなかったため兎に角手が冷たい。

ちぎれるような感覚のまま暗闇の登山を続ける。
1時間程度で9合目に到着。

しかし、山小屋は開いてない。
その上風は8合目の比ではなく強く冷たい。
このまま頂上へ行っても何もなければ
また暗闇のまま下山しなければならない事を
想像するとぞっとする。

そんな事を考えていると山小屋の陰が
空いていて風が少しよけられる場所があったため
そこで1時間待ってから登ることにした。

しかし、風がある程度よけられると言っても
体はぶるぶる震え続ける。
名古屋の冬でもこんな経験はない。

時計がやっと4時を指し頂上を目指すことに。

登り始めやっと体が温まり始めたころに
だんだんと夜が明けてきた。

明けてくると共に風が下から上へ吹いている事が
はっきりとわかる。

それも雨で痛いと思っていたのが
実はみぞれ交じりのブリザード状態!

氷の粒に悩まされながら、泣きたい気持の中
なんとか頂上へ到着。

晴れるかもという淡い期待もむなしく、
帰りの無事を山頂の神社に祈願を
してそのまま下山。

兎に角、顔に当たる氷の粒が痛い。

止まるのも地獄、
歩いても地獄、
だったら歩くしかない。

一気に7合目まで下山。

でもブリザードみたいな風はやまない。

登山者の渋滞の列が長くなる。

痛かった風も気がつくと暖かく感じられる。

6合目の看板にホッとすると共に
もうすぐ5合目と思うとなんとなく足取りも軽くなる。

また、強い雨から下山するにつれて、
ガス状態になり、気がつくとそのガスも薄くなっていました。

なんとか、無事に下山し帰名しました。

下山して聞けばその日頂上付近々の気温は0度、風速21mだったとか・・。
台風でもこんな風をほとんど経験していない。
女性や子供が飛ばされているのもの納得してしまいました。

「頂上へ」という目標は大変苦しいおもいもしましたが、
一歩ずつではありますが歩き続ければ必ず登れる事を
体感して帰ってきました。

先日、社内研修で取り上げた「奇跡のリンゴ」の木村さんではありませんが、
あきらめずに目標に向かう事の大切さを教えてもらえた富士山登山でした。

今、数日経ち少し悔しさが込み上げています。
富士山からちょっとでいいから、いや、素敵なご来光を拝みたい!
晴れた青空を富士山からみたい。

そんな気持ちが・・・。