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平成26年10月

台風18号そして19号と2週連続で本州に接近・上陸しました。
沖縄県周辺には被害が大きかった様子です。
救いは、九州地方そして本州には思った程の
被害が無かった事です。しかし、
小売店などは2週続けて週末かけて
台風が来た為売上減は否めない様子です。

新天地営業所の準備は着々と進んでいます。
加来君が所長としてに単身で行く事になりました。
新天地での加来君の活躍を大変に楽しみにしています。
また、現地採用岩田さんが営業職として新規開拓に当ってくれます。
現在、名古屋で研修中。
大変だとは思いますが宜しくお願いします。

鮮度ある野菜をタイムリーに届ける事は、
新天地でも受け入れてもらえると考えます。

出光というガソリンスタンドは
皆さん知っていると思います。
当社の指定スタンドは出光ですからね。

出光の創業者については知らない人が多いと思います。
出光佐三が出光石油の創業者です。
1911年北九州市で日本石油(現在JX日鉱日石エネルギー)の特約店として
油を売り始めたのがはじまりであります。
地域で特約店制度があり地盤を増やす事が難しかった状況の中、
佐三は海上で漁船に給油するというビジネスモデルを思い付き
実行し同様の考え方で満州などに商売を展開し大きくなったと言う事です。

因みに出光と言う会社には、出勤簿はなく、
定年と言う概念が全くない変わった会社です。

何故そこに出勤簿だとかが無いのか?
「社員は家族である。」と
言うことが根底にあるためです。

 佐三は、第2次世界大戦後、
多くの社員を抱え大変苦労をしましたが、
誰ひとりとして馘首をしなかったのです。

食べる物も無く、仕事も無い。
その中で社員共に仕事を創り出し
社員を雇い続けたのです。

石油屋がラジオの修理や
旧日本軍の重油タンクの汲み上げなど
過酷な仕事もあったようですが、
それでも会社にとって社員が財産であるからこそ
社員を雇い続けたと言う事です。

そこには創業以来
「人間尊重」と
いう考え方が根底にあるからだと言う事です。

それは今でも継承されているとのこと。

“私は日本人として生まれ、日本人として育てられ、そして日本人として経営をしている”

出光佐三の言葉です。

GHQが国内の石油を管理しようとした事に
反発し欧米の石油会社の圧力に屈することなく、
同業他社が外資と提携する中、
出光は独資で経営続けたと言う事はこの言葉が示す所です。

少し話がそれましたが、
その中で出光が面白いのが、
労使と言う考え方が無いと言う事です。

これは私も同じように考える事です。
多分、お金と時間を交換しようとするから
使う側と使われる側に別れるのでしょう。

会社は誰のものか?

石橋青果は、株主のものでもなく、
社長のものでもなく、
働く人々の為にあるのです。

一人一人が惜しみなく自らの能力を出し切り、
また、力を合せて大きな問題を解決する事が
各自の人間力とスキルをあげる事につながってゆきます。

こうした人の力が会社を支え会社の繁栄につながってゆくと考えます。

皆で蓄積した利益を皆で分配をしてゆく。そんな会社にしてゆきたいと思います。