5日の上知我磨神社の初恵比寿も全く寒さを感じず、
暖かさの影響なのかいつもより盛況であったと感じます。
野菜を見ますと重量野菜は特に大きくなりまた品質も
大変によいものが多いのですが、相場が保てず
生産者の方々の苦労に報いることができずにいます。
生産地と消費者を結ぶ我々にとっては
何とも歯がゆい暮れから正月を迎えることになりました。
この反動はいつか来るのだろうと心配でなりません。
雪が降ったことで帳尻が合うことになるのかな?
2年ぶりに「奇跡のりんご」を読み返しました。
映画にもなったので皆さんもご存知でしょうが
NHK「プロフェッショナル仕事の流儀」で
一気に有名になった無農薬にてりんごを育てた木村秋則さんの実話です。
無農薬・無肥料で青果物が本当に作れるのだろうか?
そんな興味で最初は読んでいましたが、
何度も何度もこの本を読むうちに今回気が付いたのが、
自分は何を作り育てているのだろうという疑問がわいてきました。
木村さんが無農薬でリンゴ栽培に取り組んだ時代はバブル全盛の時代。
丁度私自身も多感な思春期時代だったころです。
いわゆる、国民総中級階級と呼ばれていた時代。
そんな時代、どんなことをしても
案外裕福に生きてゆくことができた時代だったと思います。
その頃に子供の消しゴムを買ってやることができずに
3人の子供が一つの消しゴムを3等分して使ったという。
また、農家が食べることができずにりんご園の雑草を食べ、
自分で作ったお米は納税費用となり、
りんご園の隅で作った野菜を市場で販売し
そのお金で米を買ったという位貧乏をしたというのです。
親が子供に不便をかけて平気なわけがないです。
何とか子供たちの為にも無農薬のりんごを早く成功させ
暮らしを安定させたいと焦っていたのだなと痛いほど解ります。
だからこそ、夜な夜な眠ることもできずにいても
諦めずに何度も何度も実験を繰り返したのだと思います。
でも、ある日万策が尽きたと、自らの命を絶つために岩木山に上ります。
実際はそこでリンゴの木と見間違ったどんぐりの木と出会い、
自分のりんご農園に何が足らなかったのかを気が付くこととなるのですが・・・。
それまでは見える部分にだけ目を奪われ、
見えない根の部分に自らの足らないことがあることを知ります。
岩木山に地近い状態に農園を作り替え、
そこからりんごの木が急速に回復することとなります。
そこまで追い詰められたことは私には無く、
自分なら易きに流れているだろうと思うのです。
実際木村さんはりんごの木が育ったのであり、
木村さん自身が無農薬りんごを作ったという風には言いません。
りんごの木が元気に育つためにお手伝いはしたとは言いますが。
私自身は会社を育てる、
働く人を育てるということに注目しながら会社を運営してきたつもりです。
でも本当にそうなっているのかはわかりません。
人の見えない部分を育てるということはどう言うことなのか?
会社には2つの側面、仕事の側面と人間の側面とがあります。
仕事の側面と言うのは売上を上げたり、効率化をしたり、
実際仕事をしている実務のことです。
人間の側面と言うのは、いわゆる人間の器ということです。
先輩・上司として人格の向上、知識を増やし知恵に代えてゆく力、
社会に対して優しくあろうとする力。
こんなことが人間の器であると思います。
人間の側面がりんごの木でいう見えない部分でありこの部分を
社員皆がしっかりと根を張ることが必要であると思います。
その為にも会社と言う土壌を一つの色にしておくのではなく
あらゆる意見を吸い上げられるふかふかの土壌にしておく必要があるのだと。
自分は本当にその土壌を作れているのだろうか?
と自問自答しております。