4月下旬は25度を越える様な陽気が続いていましたが、5月に入り例年並みとのことですが、逆に肌寒さを感じるような初旬の気候でした。重量野菜も産地が変わってゆき徐々にですが相場が回復傾向にあります。しかし、経済が廻っていないために例年の様に相場が変動することがこのゴールデンウイークにはありませんでした。今年は財布に優しい野菜の価格ですので皆さん沢山食べてください。コロナ禍は治まることなく変異株が蔓延しており我々の生活範囲が、またまた狭まくなってきております。愛知にも緊急事態宣言が発出され今月末までの我慢を強いられることになりました。何とも後手に回っている政府の対策ですが、こうなるとワクチン接種が唯一の対策に思えます。ニュージーランドのニュースが流れると初期段階でのウィルス対策がどれくらい大切だったのか思い知らされます。こうした状況でオリンピックを開催しなければならないのは日本がどうなってしまうのかが不安に思います。ウィルスの活動と経済活動というのは相反したものなのだとつくづく感じずにはいられません。
本人が皆に全体のメールで知らせましたが、4月29日に理菜さんと入籍をしました。コロナ禍で多くの方が集まり祝福はできませんが私は「かどや」にてお二人とお会いすることが出来ました。当社も既婚者が増えてゆくことはとてもいいことだと思います。コロナ禍が収束したらみんなまとめてパーティーを開きたいものです。それと同時に家庭を持つということはそれなりに収入も必要ということもあり、私は社業の発展をさせないといけないなという大きな責任を感じております。コロナなんかに負けずに頑張ろう!
恋と愛の違いをわが師である芳村思風ちゃんはよく話をしてくれます。恋はあばたがえくぼに見えるという位にパートナーの悪い所もよく見えてしまうのです。逆にあばたがあばたに見えたらパートナーにはなりません。子孫繁栄のためにどうしても恋という盲目の時期は必要であります。人類は38億年前から盲目を繰り返し今に至っているということを今になると冷静に判断ができます。こうして結婚をして一緒に生活をするようになると残念ながらあばたがあばたに見えるようになってきます。お互いが冷静に見られるようになるということですね。こうして恋が終わり、愛がはじまると教えてもらいました。愛は恋愛小説で語られるようなものではなく愛は能力であると認識をすること、平和を作る時代には愛が必要であると教えてもらいました。愛を能力として使うということは、意見の違う者、宗教の違う者、人種や年代を越えて相手のことを受け入れて、互いの意見を成長させ合うために必要な能力なのです。と記するととても簡単にこの能力が身につくように思えますが、自我が各人にはあり、自分の意見は正しいと思い、自分の意見が中々偏っていると気が付かないものです。パートナーには自分が思うように動いてもらいたい。でも、相手にも意志があります。好き嫌いがあります。こうしたちょっとしたすれ違いが原因となり不仲になるのでしょう。愛を能力として使うということは、許してあげる、認めてあげる、待ってあげる、信じてあげる、分かってあげる、そんな努力をすることが愛の能力を磨くことになるのだということです。私も常に反省です。本物の人間に近づくためにも一生愛の能力を磨き続けます。これが凡事徹底ですね。皆さん、思風塾にどうぞ!