平成27年6月
今年の梅雨はあまり雨が降らない。
雨より晴れた方が仕事をしやすいし、
気分もいい。
でも、降らなければならない時に
降らないと水不足も引き起こますね。
平成27年度も第一四半期が終わろうとしています。
静岡営業所の売上は少しずつ上がってきていますが、
計画値とは乖離しています。
また、野菜の高値が今年はボディーブローのように効いており、
全社で利益確保が大変に難しいです。
今月のつぶやきは、私の昔話と言うか
原点の話をさせていただきます。
入社は平成元年、前職は野菜とはまったく無関係の仕事ですが、
給料は成果を出した分くれると言う事で石橋青果に入社!
勿論、結婚という要素も大きかったのですが。
入社してから3年ぐらいまでは配達や営業の補佐をしていました。
ある日、当時在籍していた朝倉さんという先輩が
信州産インゲン豆B品4ケースを仕入れてきました。
私はそのインゲン豆を店で販売をするように指示をされましたが、
八百屋さんは誰も買ってくれません。
やっとのことで1ケースは売れたけど、結局3ケースは在庫となりました。
私が八百屋さんの事を知っているけども、
八百屋さんは私の事を知らない。
もっと言うと石橋青果が豆を販売すると言う事も
八百屋さんは知らない。
まぁ当時豆類の販売を続けるのかも疑わしかったけども・・・。
今でもそうですが、販売者になると言うのは誰かが
販売をしていた商品を引き継ぎ大きくしていくと言うのが通常です。
しかし私の場合そうではなかった。
お客さんもいなければ実は、仕入先も無いに等しい。
当時名青から仕入れをさせてもらえると言うのだが、
商品をまともに分けてもらえない。
当時、丸進、大長、丸伊、八百文、加野と言うそうそうたるメンバー・・・
いわゆる「狸」が豆現場を仕切っていた。
流行った時いわゆる需要が大きい時には
全く荷物がもらえない。
そんな状態から商売をはじめた。
佐藤さんには先取りの仕方、お客さんとの対応、
荷受けとのやり取りのコツ等を沢山教えてもらった。
その中で私がとても印象に残っているのが、
良く佐藤さんが、安く値切ってばかりのお客さんに
買ってもらわなくてもいい?と聞こえるくらいの口調でやりとりをしていた。
葱現場の下で働いている時は、
「値切るなら来るな!」と私自身も思っていた。
しかし、いざ自分が販売をしてみてお客さんが全くいない事に気がつき、
値切ってもいいから毎日買いに来てくれるお客さんになって欲しいと心底思った。
今、少し時代が変わり名古屋市場の卸会社から
案外スムーズに仕入れをできるようになった。
そして、お客さんは石橋青果と言う会社についていて
バイヤーに頼めば単価次第ではあるが商談が
できるようになった。本当に有難いと私は思う。
若い社員が増えてきた今だからこそ、
ここに記しておきます。
今あるお客さんは当たり前では無ありません。
皆が一所懸命に努力して買って頂けるようになった
お客さんなのです。
クレームをもらった時、無理難題を言われた時の対応は大丈夫でしょうか?
引き継いだお客さんに対してお客さんの立場になって考えていますか?
現在、静岡営業所は”ゼロ“からの出発で毎日毎日額に汗をかきかき、
加来君そして岩田さん、又浅沼さんをはじめパートさんが頑張ってくれています。
今がある事は当たり前では無く、奇跡の連続がもたらしたものなのです。